劇場版コードブルーを観て、あらためて仲間とは何かを考える週末
劇場版コードブルーをユナイテッドシネマとしまえんで見てきました。
毎回楽しみにしていたドラマの一つなのですが、劇場版は過去3シーズンの集大成的な作品でした。
めっちゃ面白かった!
涙腺を刺激する鉄板のテーマを扱いつつもファンの期待を裏切らないナイスエンターテイメント。素直に面白かった。
帰宅してからも「HANABI」聴いちゃってます(笑)。
上映中には方々から鼻をすする音が…
命を扱う作品なので、わかっていたことであるけれど、ぼくと奥さんは涙腺が崩壊。
周囲からも鼻をすする音があちこちから聞こえてきました。
っていうか、ぼくなんかは、あるシーンでは声が出る寸前ですよ…。子供ネタはダメです。
一緒に観に行った娘には、実感がなかったり想像ができないこともあったようだけれど、鉄板のテーマの破壊力を改めて痛感しました。
全体的にはザ・ムービー的なスピーディーな展開と凝縮感が、コードブルーを一気に堪能できる展開でとてもよかった(笑)。
そんなこんなで映画をしっかり楽しんできたのですが、この映画を観てもう一つ、あることが頭の中でぐるぐると巡っています。
仲間について考えさせられる作品
この作品は登場人物それぞれの成長を仲間の絆を描いてきたと思うんだけど、映画では仲間とはどういう存在なのかを改めて考えさせられました。
ぼく自身、これから仕事の新たな仲間をつくっていきたいなと思っているタイミングでもあり、思いを巡らせていたところでもあったので、うっすらと考えていたことに対しての答えを得た気がします。
サラリーマン時代からいくつものチームをつくってきたけれど、本当にいい仲間に恵まれてきてたなという思いがあります。
独立してからも仕事をするうえで素晴らしい仲間に恵まれてきたけれど、今回、改めて自分の会社でチームをつくろうと思うとなかなか難しいものがあってなかなか進まないんですよね。
チームを構成するメンバーは、会社にいるときは同僚です。独立してからは、プロジェクト単位でお互いを補完するパートナーです。
すでにいる人たちをチームにしたり、メンバーになったりしてきたのですが、自分でチームをつくろうとするとゼロからメンバーを集めることになるわけですが、これがピンとこなかったんです。
ありがたいことに、新たに出会った人、旧知の仲の人、応募してくれた人など、一緒にやりたいと言ってくれる人も何人かいたのですが、パートナーにはなってもチームになるイメージをもてず前に進めずにいました。
それぞれ実績や才能を持っている人たちばかりなんだけど、イメージができない…。
ここ数ヶ月、メンターからの教えや先輩経営者から話を聴いたり、思い出したりしながら仲間について考えを巡らせてきたのですが、自分の中で「仲間とは何か」「どんなチームをつくりたいのか」をもう一度定義しなおすことで、かなり明確になってきていました。
そんな時に、コードブルーを観て、「ああ、こういうことなんだな」という答えを得た気がしています。
心を開いてゴールを共有することができるかどうか
仲間になれるかどうか、チームとして機能するかどうかは、心を開いてゴールを共有できるかどうかです。
ぼくが考える「心を開く」というのは、自分をさらけ出すとかそういうことではなく、目標やゴールのために感情に流されない心を持ち、それをどんな時もオープンにするということです。
何かが起こる度に、その時の感情にいちいち左右されてしまっては、絶対にいい仕事はできません。
プロジェクトを進めていると、うまくいったりいかなったりします。そんな状況に合わせて、人の心は楽しかったり辛かったりもしますが、それはすべて感情の話です。
うまくいっていること、うまくいかないことには、「楽しい」「辛い」といった意味はくっついていません。だけど、人はそこにフォーカスをして感情が動いてしまいます。
感情に左右されると、いいときはいいけれど、ダメなときはどんどんダメな方へと向かってしまいます。
どんな状況にあっても、フォーカスすべきは状況です。
状況をみて、すべてを目標やゴールのために考えて行動をしていけば、ものごとを進めていくことができます。
コードブルーの中でもフェローが目の前の患者の処置に怖気付くシーンが出てきます。
救急医療の現場なので、状況としてはかなりエグイのですが、怖くて動けなくなってしまった時に「目の前の人を助けることだけを考えろ」という先輩からのアドバイスで、医者としての自分自身のミッションを思い出し、恐怖の感情に打ち勝つというエピソードが何度も繰り返されます。
多くの視聴者が惹きつけられる瞬間ですよね(笑)。
怖いという感情にとらわれることなく、やり遂げなければならないことだけに集中する。
そうは言っても、人の心は動いてしまうものです。仕事でも日常生活でも、楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、逃げ出したいこともたくさんあります。
そんな時に目標やゴールを再確認させてくれて、互いに気づきを与えながら一緒に前に進んでいけるのが仲間であり、強いチームです。
経験上、プロジェクトごとの目標やゴールはもちろんだけど、仕事や人生のミッションが同じ方向を向いていないとなかなかこうはなりません。
プロジェクトという単位では、クライアントも同じチームなので、心を開ける関係性ができあがると大きな困難があったとしても乗り越えることができます。
新たな目標やゴールが見つかったり、共有できなくなったら環境を変えればいい
高いスキルを持っていても、心を開けなければ、いい仕事はできません。
状況によって心を動かされてしまう人もそうですが、自分のことだけを考える人も長い目で見ればいい仕事はできないなぁと思います。
好き・嫌い、やりたい・やりたくないなど、自分の感情に流される人は、目標達成やゴールへ到達するのが難しくなります。個人でもそうだし、チームでも同じ。
高いスキルがあってもいちいち感情で動く人とは一緒に仕事がしにくいし、ゴールへ到達する妨げにすらなる可能性があります。
もちろん、「嫌なこと」や「やりたくないこと」をやれというつもりもないし、ぼく自身もやりたくないことがあるけれど、「自分でやると決めたこと」や自分で選んだ会社の「会社やチームとしてのミッション」ならば、ゴールに到達することだけを考えて行動したらいいんじゃないかなと。
それがいやならチームや会社を離れて、自分がやりたいことだけを選んで、嫌なことが起きないようにすればいいだけですからね。
だから、ぼくは会社を離れました。
会社が求めるものとぼくがやりたいことの乖離がどうしようもないくらい大きくなってしまったし、公私の時間のバランスを考えた時に、自分の人生のミッションからは遠ざかっていくと強く感じるようになっていました。
じゃあ転職をするかって普通はなると思うんですけど、もう、その頃には行きたい会社も働いてみたい会社もなかったんですよね。
新しい会社を見つけて、その会社のビジョンに自分を寄せていくのに必要なパワーも時間を別のことに使いたい。
なら自分でやるか…と。
自分自身のゴールを設定し、やりたい仕事をつくり、やりたいこともやれていますが、それはそれでいろいろとあります。
独立をしても、クライアントやパートナーとは心を開いて関係をつくらないと仕事は進まないし、自分自身に対しても感情で動かないようにしていかないといけない。
まぁ、今は感情をぶつける相手すらいないですし(笑)。
ゴールへ到達した時の達成感を味わう
結局、組織だろうと個人だろうとどこまでいっても感情レベルで動いている限りはどこかで限界がくるということです。
人生や仕事でのミッション、目標やゴールを共有し、実現することを目指し、目の前のできごとに一喜一憂するのではなく、ゴールへ到達した時の達成感を味わう。
その達成感を味わうことに喜びを見いだせる仲間とチームとして一緒に仕事をしたいなぁ、と思っています。
エンディング近くで浅利陽介さん演じる藤川先生が「お前ら本当に病院が好きだなぁ!」みたいなセリフを言うんですが、「ああ、これなんだろうな」と思ったんですよね。
これは、もちろん本当に病院が好きなわけでもなく、職場のブラックさを揶揄するわけでもなく、「誇りをもってミッションに取り組む素晴らしい仲間だぜ!」いうことが凝縮された一言です。
そんなことを考えながら、ぼくの仲間探しクエストは続くのでした…。
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