ほぼ糸井重里を読んで脱力する週末。

ほぼ糸井重里

ちょっと先のことを見据えながら、1日/人生という今日を丁寧に過ごしたいと毎日思っているのですが、まだまだ雑に過ごしてしまう日があります。

雑に過ごしてしまったなというのは後になってから湧き上がってくる感情なのですが、雑に過ごしてしまったなと思う日というのは、意外にも「頑張った日」であることが多いことに気がつきます。

頑張るってとても大切なことなんですけど、今日は頑張るとか、今回は頑張るとかムラがあっちゃいけないんじゃないかと。

いや、あってもいいんですけど、今日頑張るんなら明日も頑張ったほうがいいし、昨日も頑張るべきだったんじゃないかななんて思ったりもするわけです。

底上げして平均点を上げる

仕事でも日々の生活でも、ものごとがうまく進むのはフラットな状態の時の方が多いんですよね。いつものことをいつものようにやるとうまくいくっぽい。

「今」頑張らないと乗り越えられない瞬間って多々あるんですけど、それを「今」だけにしないで、普通にしていけるかってことなんですよね。フラットな状態をいかにして底上げしていくかというのが、大事なんじゃないかと思っています。

底上げしていくと平均点があがります。だから、今日は頑張るとか、今回は頑張るというのはやっぱりちょっと違うかな、なんて思います。

これは、友達関係でもそうだし、家族でも同じで、今日だけいい奴になるわけでもないし、今日だけいい父親やいい夫になるわけでもない。

そうすると毎日ただ一生懸命生きるしかないし、毎日ただ一生懸命働くしかない。

一日を丁寧に過ごすというのは、その日にやるべきことを自然体で一生懸命やるということなんだな、人と関わるのもそういうことなんだな、としみじみ思うんですけど、ここ数ヶ月のことを思い出すと、まさにその通りだとひとり納得してみたり。

知らないことを学んだり、できないことを練習したり、効率化みたいなものをどう取り入れるのかは頭の使いどころだし、知恵を絞らなきゃいけないんだけど、それを頑張らずにライフワークのごとくやっていくということなのかな。

来年の今頃はもしかしたら違うことを考えているかもなとも思いますけど、「信用 農業論」を読みながら最近思っていたことを整理するとこんな感じなのかな。

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この記事を書いた人

橋本 敬BridgeBookJP
デジタルガジェットやカメラ、写真、文房具などが大好きなWEBプロデューサー。浦和レッズサポでもあります。